tokyotowerstsyk’s blog

初期のパーキンソン病患者です。治療の記録とともに、日常生活の中で印象に残るイベント、旅行などのレビューも併せてアップしています

薬について

 ここで、私がどのようなパーキンソン病治療薬を使っているかを紹介します。

 

 この治療薬には、大きく分けて3つの分類があります。

 

 ①減り続けるドパミンを補う薬

 ②脳幹に「ドパミンを出せ出せ!」と働きかける薬

 ③ドパミンと同じ薬(①)の作用を増幅させたり、効き目を長持ちさせたりする役割を持つ薬 

 

かつては、余命のことを考えて、あまり最初から薬を増やさない考え方が主流だったということですが、今では③にあたる薬がどんどん開発されているため、発病初期の段階から、積極的に薬で攻めていくやり方がトレンドなのだそうです。

 

 ただ、前にも書いたとおり、攻めていく方法については、お医者さんの間でも手法が分かれているため、病院により、また、患者さん一人一人の症状により、必要となる薬はそれぞれ異なってきます。

 

 お医者さんの腕の見せ所は、①と③の割合を見定めることと、特に③でどのような薬を選択するかにあるあります。①のドパミンを増やしすぎると、限界がすぐに見えてきてしまう。①を増やすスピードを極力抑えるために、③の力を存分に発揮させる。実際、私も主治医のおかげで③の威力の大きさに驚いています。

 このような枠組みは、流派はちがえども方向性は同じだと思います。

 

 ちなみに、私はこれらに加えて、

  ④睡眠時に脳の異常な活動を抑える薬

ももらっています。

 ブログの最初の方にも書きましたが、症状の一つとして、睡眠時に突然怒鳴り始めたり、暴れたり、歩き回るという行動があります。そうした異常行動を抑える薬です。

タイコを習っていてわかったこと

ジェンベと呼ばれているアフリカの太鼓がある。ばち(スティックやマレット)を持たずに、基本的に手のひらで叩くタイコだ。

実は、この太鼓を習いはじめて、かれこれ2年か3年くらい経つ。どうしても、この太鼓の音にはまり、やめられないのだ。教えてくれる先生には、私は頭があがらない。まさに恩師である。

パーキンソン病の症状で、私は左手の間接が固く、右、左、右、左・・・というように連打していくと、未だにびっこをひく。普通は、ダ・ダ・ダ・ダ・ダ・ダ・ダ・ダ・

という感じですぐ叩けるものだが、私の場合は「ダッ・ダダッ・ダダッ・ダダッ・ダダッ」となってしまう。だから、課題の進み方はまるで進まず、いかにこれを修正できるかという難問に先生を巻きこんでいる。

普通なら、こんな状態が何年も続けば、もう強制退場になるだろう。本当にありがたい。

 ところが、つい数日前のことだが、このびっこを引かない瞬間(といっても、未だ少しはずれているが)が訪れた。

 
左手も固さ、重さがなくなる瞬間である。ウソのように均等に叩けている。先生がなにか言ったひと言がきっかけだったが、自分も舞い上がってしまってよく覚えていない。

とにかく、左手の重さを忘れ、右と均等に叩くことができたことは確かだ。

その時の精神状態は、日常と視界がまるでちがう。ああ、この状態になったときは、身体が発病前の感覚にほぼ戻るのだな、ということに驚いた。

ただ、残念ながら、後日、一人で練習を始めると、また、びっこの状態に戻ってしまい、あのときの感じにならない。

しかし、あの感じになれば、まちがいなく身体は元通りになるはずだが、そのスイッチが見つからない。ちょっと、あの感じなるスイッチをもう一度見つけたい。

変な話だが、気のもちようで病気の症状が消え去るなら、これは願ってもないことだ。

 

主治医がアメリカに・・・

主治医としてお世話になっている東京逓信病院のB先生が、4月からアメリカ留学に行ってしまうことが、ここ最近調子が悪くなってきてから初めての診察でわかった。

1年から2年、アメリカで研究した後、日本に帰ってくるということだが、勤務する病院は、その時にならないとわからない、という。聞くところでは、医局という世界の中で、ボスにあたる先生が配下のお医者さんたちの勤務先を決めるのだという。

テレビドラマの通りだ。

B先生には100%の信頼を寄せている。
実は、これまで、B先生の異動先の病院を追って、私も通院先を2回変えている。

パーキンソン病の治療の成否は、お医者さんの持つ薬の調合能力にほぼすべてがかかっているといってもよい。だから、こういう不調なときこそ、同じ医師に診て欲しい、という思いがある。
しかし、いくらなんでもアメリカは遠すぎる。

 

B先生から、今後はどのようにするか、つまり、このまま東京逓信病院で、ちがう医師から診察を受けるが、あるいは、ほかの病院に替えるか、という問題だ。

 

私は、即座に「このまま、東京逓信病院で」と答えた。

後任には、B先生の後輩が着任すという。

 

病院を替える、という選択肢は全く考えていない。というのも、各大学病院とも、治療のための投薬の方法が異なることをB先生から以前聞いていたからだ。薬の種類は山ほどあり、その組み合わせや量的にもいくつかの流派があるという。

医師は変わっても、B先生と同じ東京大学病院で活動している方に即決した。

ちなみに、今回、B先生が1種類増やしてくれた薬があるが、これが、またすごく効き目がよい。流石だ。

 

喉元過ぎれば・・・

調子に乗るとろくなことはない。

昨年5月に投稿してから、そろそろ1年になろうとしている。

今日は、どんなに症状が好転したとしても、身体のトレーニング、ケア、睡眠時間の確保などの自己管理を放棄してはいけない、という自己反省文だ。

 

脳血流の数字が好転したことに気を良くして、このブログを休眠していた間、活動の幅も時間もが大きく広がった。しかし、その分、「もう大丈夫だ」と勝手に決めつけ、身体のケアを怠っていたことは確かだ。

自分で勧めておきながら、ウォーキングマシンでのトレーニングも「忙しい」という口実を作っては、だんだん遠のいていく。

そのツケは、実は年末からじわじわと現れ始めた。

まず、歩く歩幅が突然狭くなる。だんだんではない。気がついてみると、どんどん周りの人に、追い抜かれていく。デパートのガラス越しに見ると、それはひどいものだ。

自分では、以前と同じスピードで歩いてるつもりだが、小学生にまで抜かされていく。

歩くピッチ、刻みのスピードは、以前と変わらないので、自分の実感とすれば、なぜぬかされていくのか、不思議でならない。

そこで、あわてて行きつけのジムにあるマシンに載ってみたところ、歩幅が以前の半分ほどにまで狭くなっていることがわかった。

以前の歩幅に戻そうとするが、なかなか戻らない。これまでの投稿にも書いたが、この病気の特徴的症状として、身体の裏側(背中側)が首から足首までのほぼ全域の筋肉が固くなるということがある。このため、歩幅を数センチ伸ばそうとしても、そう簡単にいかないことがわかった。

心を入れ替えて、また、トレーニングを再開しようとした矢先に、このコロナウィルス騒ぎ。ジムも休館になってしまった。

調子が良いときでも、普段の身体のケアだけは休んではならない。

脳血流と脳の容積が回復

5月初旬から行っていた東京T病院での検査結果(脳血流、MR I、心電図、ドーパミン分泌量の検査)が出そろってきた。

残念ながら、ドーパミン分泌量は通常の健康な人の3分の2くらいしかなかったが、脳血流と脳の容積は、驚くことに5年前の検査結果と比べ、劇的に回復していた。

まず、脳の容積はMRI検査で見ることができる。

5年前(発症1年目頃)の結果を見ると、頭蓋骨と脳との間に、通常よりも広い隙間ができている。後頭部では、その隙間が大きかった。

これは、脳が収縮していることを示すもので、特に、後頭部は情報(特に視覚情報)の処理に重要なところであるため、将来、認知症への危険を示唆するものだった。
すでに、レビー小体が脳の広い部分に付着していることを示すものだった。

ところが、今回のMRIでは、脳と頭蓋骨との隙間は正常値に戻っている。内部についても、問題ない、ということだった。

収縮の度合いが大きかった後頭部は、血流が正常値にほぼ戻っており、容量も回復している。
本当に驚いた。主治医も不思議な表情で、前回の検査結果映像と詳しく分析してみる、ということだ。

とにかく、当初はこの検査結果によって薬を組み立て直そう、という計画は実行に移すことなく現状維持。とりあえず、進行にブレーキかけられた。

ところで、何が進行を止めてくれたのだろうか?

自分の思うところ、ドラムサークルとヨガだ。

 

 

 

ウォーキングマシーンは強い味方

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ウォーキングマシン 

 

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ウォーキングマシンの操作パネル


日常、パーキンソン病患者は、普通の人なら何でもない「歩行」に苦労していることが多いと思う。

不思議なことに階段の登り降りはできるが平地での歩行は四苦八苦だ。平地であっても横断歩道のように均等に横線の目印が道にある時には、その目印めがけて足を伸ばしていくと難なく歩ける。このように、一律にできない、動かない、というわけではなく、ある条件の下では健常な人と同じように動くことができる。実に不思議な病気であると思う。

 

しかし、そうは言っても、進行とともに関節が少しずつ硬くなり、身体の疎きに柔軟性がなくなってくる。例えば、私は身体の左側が固くなってきているため、歩くにしても、左足の足首、ひざなどが右と比べて曲がりにくく、何となくびっこを引きずっているような動きになっている。

そこで、この改善に役立つものが、一般のスポーツジムにある、ウォーキングマシーンである。効果は絶大だ。

 

ウォーキングマシーンは、ベルトが一定速度で動くため、この病気の患者にとっては意外に歩きやすいと思う。一般道のように、地面の傾斜やでこぼこもないし、信号待ちもないので、歩くことに集中出来る。歩くことに集中出来ると、次のことが確認できる。

①つま先、かかとがどのように動いているか、その軌道

②左右の足の歩幅のちがい。

 

以上の2点を意識することにより、本来の歩きを取り戻すことができる。この2点が正確に意識できれば、歩くときに一方の足に負担がかかること、身体のゆれ、いびつな歩き方をごく自然に修正することができる。正しい歩き方をマシンによって脳に覚え込ませることができる。

これは、歩道での散策では絶対に得られない。

私は、週に2~3日程度だが、近くのジムで1時間程度、時速3キロ~4キロのゆっくりしたスピードで歩いている。

正確に言えば、最初は時速2キロくらいのゆっくりした速度でバーをつかみながら大股で歩くことを意識する。大股でバランス良く歩くことができたら、バーを放して歩く。

バーを放してもバランス良く歩くことができたら、時速 0.2キロずつ速度を上げていき、最終的に時速4.4キロくらいまで上げていく。

最高時速は、その日の調子によって、4キロに満たないときもある。無理は禁物だ。バランスが保てるギリギリの速度で収めることが大切だ。

ちなみに、最高速度まで上げたら、徐々にまた、0.2キロずつ速度を落とし、クールダウンする。最高時速のまま終わってしまうと、地上に降りたときに、足がもつれることになるので、要注意だ。

症状に合わせて、乗り始めの速度、最高速度は落としたり、上げたり、あるいは、バーをつかまったままでも良いと思う。

 

散策では得られないこのトレーニングを是非お勧めする。

 

東大病院に検査入院

 その後、縁あって亡き母親の主治医に診察を受けることとなった。当時、非常勤医師として診察してもらった主治医は、東大病院の神経内科を拠点として医療、研究活動にあたっている新進気鋭の医師だった。

 約二週間にわたる検査入院を勧められた理由の一つに、まちがいなくパーキンソン病であるという確証を得ておきたかったことがある。前述の通り、歩きにくい、動きが遅くなる、倦怠感、といった症状は、パーキンソン病のようで、実はそうではないパーキンソン関連疾患、と呼ばれる可能性もある。このあたりをはっきりさせておかないと、照準を合わせた投薬ができにくい、ということだった。

 

 用意された病室は、新築で、まるでホテルを思わせるような二人部屋だった。

 そこで、朝六時起床、八時に朝食、就寝は午後九時、という規則正しい二週間が始まった。二週間といっても、毎日検査があるわけではなく、平均して二日に1回という割合だった。検査項目は思ったよりもはるかに多く、脳のMRI,脳血流、心電図、医師による触診、教授回診、心理テスト、と盛り沢山だった。

 検査の結果、まぎれもなくパーキンソン病だと診断された。

 決め手となったのは、心電図の異常な動きにあった。通常の健康診断で行う心電図検査よりも、かなり長く(約1時間ほど)かかる特殊な検査だった。パーキンソン病患者には、ある共通した、異常な心臓の動きが時々に現れるらしい。その異状パターンが自分にもあったということだ。

 ちなみに、心理テストは、記憶力や空間造形力、言語能力を問うもので、2回も行うことになった。その理由は、MRIによって、脳の萎縮、とりわけ後頭部にある統合視覚野というところが縮んでいるので、そのあたりの影響を調べたという。実際、自分は

言語能力には優れていたが、マッチ棒で図形を再現するテストは、平均を下回っていた。パーキンソン病は、体内にレビー小体という悪性タンパク質をまき散らすらしいが、これが脳に付着すると、その部分の萎縮がおき、最悪の場合は認知症にまで行き着くのだという。

 しかし、こればかりはどうにもならないので、医師から、「今、できる治療をやりましょう」と言われ、先のことは考えないことにした。

 

 検査を受けて良かったことは、病名が確定し、気分がスッキリしたことだ。投薬も、幅広い視野からではなく、ピンポイントに絞った視野で選択でき、今でも非常によく効いている。